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<ノベル>
「どうしたー!? 少尉、襲われたってー?」
騒ぎを聞きつけて、まず、あらわれたのは太助であった。
「……」
「風呂場で殴られたうえに、ポップコーン盗られたって? そりゃあ災難――」
太助が口ごもったのは、小隊の視線がじっと彼に注がれていたからだ。
それも当然、太助は、もごもごと口を動かしながら喋っていて、胸や腹の毛には、あきらかにポップコーンの屑と思われるものが付着していたのだから。
「おまえかーーーッ!!」
「ち、違うぞ! これは、まいぽっぷこーんだって!」
太助は紙のカップを見せて抗弁する。
それは『迷泉楼』の温泉の待合など、そこかしこに設置されているティーサーバーの備え付け紙カップと思われた。今、問題になっているポップコーンは、もちろん、ジェノサイドヒルの迷彩模様カップに入っているはずだが……
「違うのか……、まぎらわしいもんを食うな」
軍人に毒づかれる間に、太助は、残りをしゃくしゃくと食べ終え、
「よし、じゃあ、俺が犯人探し手伝ってやっぞ! 犯人のにおいをたどっていけば一発だ」
と、胸を張った。
たしかに、太助の嗅覚は頼りになるだろう、と小隊が納得しかかったとき、きらり、となにかが光を反射する。
「この温泉の香りが充満するなかで、果たして、鼻が役に立つかのう」
「だ、誰だ!?」
「湯治にと参ったこの温泉でこのような事件が起ころうとは……、よかろう、こたびの事件、わしが必ず解決してみせようぞ!」
そう言って、ゆきは、押入れから出てくると、後ろでに、ぴしゃりとその戸を閉めつつ、なにやら自信ありげに皆を見回すのであった。
「な、なぜ、押入れから……!?」
「まずは詳しく事件の様子を話してみるがよい」
誰もが抱く疑問を華麗にスルーして、ゆきは少尉に話しかけた。
結果、軍人は、タヌキと子ども相手に、事の次第をせつせつと語るのであった。
「まずは現場保存だ! 犯人の手掛かりが残ってるかもしれないぜ」
「そうじゃの、事件現場を見てみぬことにはのう」
そして、至極まっとうに、かれらは温泉へと戻ることになった。
「おいおい、なんだ、なんだ、これは一体!?」
機嫌良く露天の湯につかってたところ、いきなり大挙して兵士の一団があらわれたら、神宮寺剛政でなくとも狼狽するだろう。しかも、先頭に立っているのはタヌキと、年端もゆかぬ少女姿の座敷わらしであって。
「お嬢ちゃん、ここは男湯だぜ」
「知っておる。おぬし、いつから入っておるのじゃ?」
「今さっきだが」
「その前はどこにいたー?」
「なんで俺は子どもとタヌキに尋問されてるんだ!?」
「ふむ、アリバイはないのじゃな。……犯人は現場に戻るというしのぅ」
ぼそり、とゆきが呟いた一言に、小隊の兵士たちは色めきたつ。
「では、この男が!」
兵士たちがいっせいに軍用ライフルの銃口を剛政へ向けた。
「ちょ、待て!!」
あわてて、諸手をあげ、ざばり、と立ち上がる――
「わー、前! 前!」
スコット上等兵が、桶で前を隠した。
「こりゃ、れでぃーのまえでなんじゃ」
「おま、自分から入ってきてそれはねぇよ! つか、これはなんのドッキリだ!?」
「ん、なんだ、ここ! あやしいぞ!」
ふいに、太助が声をあげた。
露店風呂の、湯を囲む岩の向こう、植え込みの陰に、仕切りの板の一部が外れている箇所があったのを、彼は発見した。
「抜け道だー!」
「なんと! 密室に抜け道があるとは、なんという反則じゃ」
みながどやどやと、抜け道(?)をのぞきこむ。しかし、男湯の、仕切りの板の向こうは、当然、女湯なわけで。
「ギャーーーーーー! なんなのよ、アンタたちーーーー!!!!」
「ごふぁ!!」
カコーン!と、小気味よい音。
仕切りの向こうで、気持ち良さげに湯につかっていたのは、3頭身スタイルの直立白ウサギ――すなわち、レモンであった。んな、ウサギの入浴シーン見ても、と誰かが言ったかどうだか知らないが、そんなことはお構いなしに放たれる風呂桶! そして、見事にそれらをかわす太助と小隊。連中が視界を遮っていたので、飛来する凶器に気づかぬ剛政。
かくして、『迷泉楼』の露天風呂のひとつに、再び、男の悲鳴が響いた。
剛政を直撃した風呂桶は、勢いよく跳ねて、洗い場の片隅にピラミッド型に積み上げられていた桶の頂点に落下、がらんがらんと派手な音を立てて風呂桶が崩れて散乱するなか、第2の犠牲者がぶくぶくと湯の底に沈んでいくのであった。
★
「ノーマン少尉を襲った上に、女湯のぞいて返り討ちにあって、しかもポップコーンも盗んだってか。ずいぶん、はっちゃけてるなぁ、せめて、どれかにしとけよ」
「ぜんっぜん、違うだろうがーーー!」
剛政が吼えた。
俺、なにか違ってたっけ?的な顔で、刀冴が他の面々を振り返る。
「女湯覗いたのは濡れ衣かもしれません」
今ここにいる中で、いちばん良識をもっていると言っていいスコット上等兵の口添えがそれだった。しかし、少尉襲撃とポップコーン窃盗容疑については、まだ晴れてはいないのである。
かれらがいるのは、男湯・女湯それぞれに通じる待合だ。とりあえず救出された剛政は浴衣姿。そこへ、悲鳴を聞きつけた刀冴があらわれて事情を聞いたところだった。
「まあ、そりゃあ、どっちも災難だったよな。それはともかく、一杯飲もうぜ!」
刀冴が、少尉と剛政の肩を同時にがっしり組んで、快活な笑顔を見せた。
「なにが『それはともかく』だ! 話がつながってないだろうが」
「まあまあ、そう喚くなって」
頭から湯気が出っぱなしの少尉をなだめるように言いながら、しかし刀冴の常人ならざる腕の力は万力のようにふたりの男たちをとらえて離さない。
「ぬおお、わ、わかったから放――」
「自家製の梅酒に葱味噌も持ってきてんだ。あいにくポップコーンはないが、パンならあるぜ?」
「待て、まさかあの不気味なパンじゃないだろうな!」
いやに爽やかな刀冴の微笑みに、剛政が声をあげる。
こうして、一時は、あれこれはうやむやになって宴会になだれこみかけたのであったのだが……
「話は聞かせてもらったわ!」
インバネスコートをひるがえし、鳥打帽の少女がひとり――カンペキな英国探偵スタイルのリゲイル・ジブリールであった。
「この謎は私が解いてみせる」
「ほう、これは手ごわそうならいばるの登場じゃ」
探偵役を自負する少女たちのあいだに火花が散った。
「なにも反目せずに、協力して捜査してくれればいいんじゃ……」
といった上等兵の言葉も耳に入らないのか、リゲイルは、集まった面々を見回し、そしてきどったしぐさで、言葉を発するのだった。
「事件現場は男湯。このことが明確に犯人像をさし示しているわ」
あまりにも自信たっぷりだったので、なにか彼女の推理が核心に迫っているのでは、という気配がただよい、人々のあいだに静かなどよめきが走った。
「なんじゃと、それはどういうことじゃ……?」
「それは…………犯人は男の人ってことよ!」
ズギャーーン、と効果音が入ったような気がしないでもなかった。
しかし。
「…………そ、それは推理と言えるのかのぅ……」
「あの、女性でも、べつに、襲撃する目的があるのなら男湯に踏み込むことだって可能なのでは……」
「えっ、そ、そうかしら……!?」
リゲイルは、自身の大発見が今いちウケがわるいのに、むしろ戸惑ったようだった。
「ええと、じゃあ、これはどう? 動機から推理をしてみるの」
「むう、それはまっとうじゃのう」
「犯人はなぜ、被害者のノーマン少尉を殺さなければならなかったか」
「まだ死んどらん」
本人の抗弁もよそに、リゲイルは再び、高らかに宣言する。
「犯人は彼に恨みをもつものの犯行よ! つまり、レンコンの線から捜査をするべきだわ!」
「それもいうなら怨恨じゃねえのか」
と、剛政。
「だが、そいつは、もっともだ。これで俺の疑いも晴れるよな。俺が少尉になんの恨みがあって――」
「そういや、よく、少尉のぽっぷこーんを武器に使って、少尉にキレられてなかった?」
太助が、ぼそりと言った。
「あー、そういえば」
一同の脳裏に浮かぶ、チョコレートキング戦やタナトス兵団戦での剛政のふるまい。怪力と、魔力をおびた性質を利用して、ポップコーンを手ずから魔法の弾丸に変えて敵に投げつける技を披露していたことがあったはずだ。
「おーまーえーはー余計なことをーーー」
「ギャーーー、暴力反対! 動物愛護!」
ぐりぐりと両の拳で頭を挟まれ、太助が悲鳴をあげる。
「今のは重要な証言ね!」
「他の状況からも考えて、やはりおぬしがいちばんあやしいのぅ」
「それじゃ剛政が犯人ってことで、宴会はじめようぜ」
「ちょっと待て!!」
よく考えるとただ少尉の後に温泉に入っていただけなのに、最有力の容疑者になってしまっている剛政だ。
「あ、そだ、チョコレートキングのときは、ウチの守役がドラゴンから突き落としちまってごめんな」
刀冴が、ふいに思い出したように、矛先を少尉へ向けた。
「む……あれか」
「やー、見事な落ちっぷりだったみたいじゃねぇか。悪ぃ、悪ぃ」
豪快に笑う。いや、それ、謝ってるというよりいやな思い出を逆なでして――
「フンッ、このとおり壮健だから気にするなッ!」
「っててててて、なんで俺だああああ」
ダダダダダとどこからともなく取り出された機関銃に撃たれる(弾はすでにポップコーン化)剛政。笑う刀冴。スコット上等兵が刀冴の袖を引いた。
「だ、だめですよ、少尉、結構、気にしてたんですから、カッコわるかったって! だいたい、少尉は高いところも苦手だし、以前に一度、友軍の戦闘機にまちがって空から機銃掃射されて以来、空を飛ぶものが嫌いなんですよぅ」
「そうかそうか、伝えとくわ。ここに竈があったら、わびのしるしに、少尉パンでも焼いてやるんだが」
「わ、俺、それ見てー」
太助が嬉しそうな声をあげた。
と、そのとき。
「キャーーーーーーーーーーーーーーーー」
絹を裂く悲鳴!
「な、なんじゃ!?」
「女湯からだわ」
はたして、女湯ののれんの向こうから、ゴスロリ浴衣のウサギが飛びだしてくる。
「やられたわ!!」
レモンがわめいた。
「あたしの下着が盗まれたのよ!」
「ええええっ」
「なんと!」
「えっ、それじゃ今――」
「ええそうよ、浴衣の下がスースーするわ! ……って、今、想像したわね、このヘンタイども! ラビット流星拳ーーー!!!」
さっと身をそらした刀冴以外の、男性陣全員に、光速のウサギパンチの連打があざやかに決まった。
「痛ぇーな! べつになにも考えてねぇよ!」
「ちょ、どこ見てんのよ!?」
「どこも見てやしねーーーーー!」
「ギャア、このヒト、またエロティックな視線であたしを見たわ!」
「おぬし、下着泥棒までするとは……見下げ果てたぞ……」
「はい! えっちなのはいけないと思います!」
「若いよなァ、ホント。で、それはいいから、早く飲もうぜ、待ちくたびれたぞ」
「畜生、キサマら全員、おぼえてろーーー!!!」
ついに限界に達したかのように、剛政が叫んだ。血を吐くような、魂の叫びであった。
「俺のこの手で、真犯人をとっつかまえて、連れて来てやる! 俺の身の潔白を思い知れぇえええええ!」
「あ、待てよお!」
だっと走り去る剛政。そのあとを、太助が追った。
★
埒があかないし、刀冴もひたすら飲みたがっているので、場所を少尉たちの部屋に移した。
「神宮寺さんも容疑者の一人ではあるけれど、かといって他の可能性が消えたわけじゃないわ。普段から少尉と接している小隊のメンバーのほうが、彼に恨みを抱く確率が高いもの」
というリゲイルの弁は、これはなるほどと思われた。
「たとえば、スコットさんは小隊の洗濯係でしょ」
「そ、そうだけど」
リゲイルの目がきらりと輝く。
「大量の洗濯をおしつけられて少尉を恨んでいたんじゃないの!?」
「えーっ、そ、そんな!」
「ふむ、こういうものは、えてして、あやしくない人物が犯人じゃからのう。おぬしならポップコーンを隠すこともたやすかろうし、襲撃の第一発見者でもある。条件はそろっておるぞ」
ゆきが賛同を示した。
「でも! 下着ドロボウはムリですよ!」
「それはやっぱりあの男よ。間違いないわ、顔がエロそうだったもの!」
レモンが言った。
「つまりスコットさんと神宮寺さんの共犯ね!」
「おお、それは盲点じゃったぞ」
探偵たちの推理はいっそう混迷してゆくばかりだ。
「ちょっと待ってください! そ、それじゃあ……ボブはご飯の量が少ないって文句言ってた! グレッグは水虫感染されたってぼやいてたし……」
今度はスコットがいろいろ暴露をはじめた。
喧々囂々、じゃあアレはどうだ、いやオマエこそ、と兵士たちの間で言い合いがはじまり、それをもとに、リゲイルとゆきとレモンが勝手な推理をはじめるのだった。
「……なんか、大変なことになってんぞ」
「ふん」
苦笑まじりの刀冴に、ノーマンは、鼻を鳴らしただけだった。刀冴が持ってきてくれた日本酒を、くい、と呷る。
「…………うまいな」
「お、そうか。そいつはよかった」
旅館の厨房から借りた小型焜炉で、金網に乗せた朴葉を炙る。葉の上には葱味噌がじゅくじゅくと音を立てており、なんともいえない香ばしい香りが漂いはじめているのだった。それはこの場の喧騒とはあまりにかけ離れた、心の平穏を呼ぶ香りだ。
「どうなんだ。隊の誰かが犯人かもしれん可能性はあるのか」
「さてな」
味噌を舐めつつ、燗を含んだ。
「恨まれておらん、とは言えんだろう」
「そうなのか」
「ベトナムの密林から、あいつらを生きてステイツへ返すのが、俺の役目だった。俺が上官だからな。でもそれは叶っていない」
むっつりと、ノーマンは言った。
「銀幕市(ここ)に来ちまったことはあんたの責任じゃないだろう。この街を気に入ってないのか?」
「いや。あの戦場より酷いところなどあるものか。ただ……今もさほどいい暮らしとは言えないからな。それは俺の不甲斐無さだろう」
「そういうことを、話したことは?」
「上官が部下に泣き言を言うのか、おまえの国では」
ノーマンの言葉に、刀冴は唇を引き結んだ。
「……いや。国の悪口を言ったんじゃない。すまない」
刀冴は薄く笑って、かぶりを振った。
「あんた……案外、苦労症だな」
「兵を率いるものは、皆そうだろう」
「……この中には、犯人はいないと思うぜ。そんな悪意の気配なんて微塵もない」
「……」
それから刀冴は、すっと意識を研ぎ澄ませる。
味噌が焼ける音も、兵士たちの騒ぐ声も、一瞬、すっと遠くなった。
かわりに、聞こえてくるのは、風が樹木を騒がせる気配。
そしてその中を歩くものたちの、弾んだ息遣い――
「森の中に犯人なんているのか……!?」
「わからん」
「わからんって!」
剛政は、茂みを踏み分けて進む大股な歩みを止めると、ふりかえって、太助の襟首を猫のように掴んで持ち上げた。
「おまえならわかるんじゃないか。なにかいるはずだ、この森には。他にも……事件が起こっている様子だったからな」
「でもそれとこれとは」
「いいか、よく考えろ。旅館側から風呂場に出入りしたものはいなかったんだろ? 下着ドロボウの時だって。じゃあ、露店風呂に出入りするのは森側からしかないんだ。それに……、ノーマンの件は、だいたい見当がついている」
「!?」
「下着ドロボウは……この森の中にいるんだ。見つけてくれ」
言われて、太助はあたりの空気を嗅いだ。
『迷泉楼』を取り囲む森は、生のままの自然の森だ。それは、太助をして、なつかしいというよりも畏怖さえ起こせしむほどの、古い森の有様なのである。
木の匂い、土の匂い、水の匂い。そして……
「!」
ふたりは、夜の森の闇のなかに、点々と、赤く燃える眼光が灯るのを、見た。
「卓球よ!!」
レモンが叫んだ。
温泉と言えば卓球だわ!と力説する。
3人娘の推理はますます複雑化し、リゲイルは依然として剛政とスコット上等兵の共犯説をとなえていたが、ゆきは大胆にも小隊全員が共犯という説を持ち出してきた。レモンは、とりあえず剛政がエロいことは間違いないが、少尉を襲ったのは第一発見者のスコットがあやしく、とはいえ、彼が犯人とも思われないと言い、実は犯行に及んだのはスコットの無意識に眠る第二の人格ではないかという奇説へと至った。
そうこうしているうちにレモンが、
「どれも決め手に欠けるから、卓球勝負で負けた人が犯人ってことでいいわね!」
と言いだし、なぜかその場のノリでそれが採択された。
なので、今、小隊の部屋には卓球台が運びこまれ、3人娘+小隊による熱いラリーが行われているのであった。
その最中である。
だん、と刀冴が、旅館の裏手に面した、縁側への襖を開け放ったのは。
さあ……っ――、と、つめたい夜風が吹き込み、卓球に火照った身体をひやし、気持ちを我に返らせる。
「え……」
特別な力を持たぬリゲイルでさえ、その異様な気配にラケットを振るのを忘れ、ピンポン球が、畳の上を跳ねて転がっていった。
「何」
レモンの毛が、ぞわり、と予感に逆立つ。
「何か来る」
次の瞬間!
太助が、茂みから飛び出してきた。
「約束通り!」
そして、剛政の声。
「連れてきたぜぇええっ!!」
彼は、それととっくみあいの恰好のまま、ほとんど地面を転がるようにしてあらわれる。
「なんと、これは」
ゆきが息を呑んだ。
彼女たち、あやかしのものにも似た気配――だがそれよりももっと、混沌とした、力の渦そのもののような。
「神獣、か」
刀冴が呟く。
そう、この温泉宿を擁する森には、太古より息づく自然の化身――神獣たちが棲まうのではなかったか。
それは大柄な剛政と体格でも伍する、巨大な猿であった。どちらかといえばヒヒに近い。≪猩猩(ショウジョウ)≫という伝説の獣の名を思い浮かべたものもいたかもしれぬ。燃えるような赤い眼に、鋭い爪と牙。こわい毛に全身を覆われており、そして……
「あーーッ!」
レモンが叫んだ。
「あ、あたしの……!」
剛政が格闘する猩猩は、なぜかレースのパンティを頭にかぶっていた。
「この変態ザルーーーーーッ!」
炸裂!ラビット流星拳!
神獣の巨体が吹っ飛ぶ。
だが、そのとき、ぎゃあぎゃあと、耳障りな声が、次々と、夜の森から押し寄せてきている。大きさはずっと小柄だが、やはり猿に似た異様な風体の獣たちが、あたりを埋め尽くそうとしていた。この森に棲まう猩猩の眷族か。
「総員――」
ノーマン少尉の、号令がかかった。
卓球大会の熱狂と、その前のカオスは、いずこにも見当たらない。一糸乱れぬ動きで、兵卒は武器を構えた。
「銃撃開始!」
温泉郷の夜に、銃撃の音が響き渡った。
★
そして……。
「うわああああああああああああん」
レモンは、リゲイルの胸に顔をうずめて号泣していた。
「サルの化け物に下着盗られて、しかもその下着を、みんなに見られたぁああああ。もうお嫁にいけないいいいいいい」
「大丈夫よ。私、替えの下着、たくさん持ってきてあるから、貸してあげる」
「そういうことじゃないのよぉぉおおお、あ、でも、貸してくれるんなら、ブランドもののカワイイのがいいわ」
しゃくりあげながら、レモンは言った。
「で、下着ドロはあの猿の神獣だったってわけだな」
と、刀冴。剛政が頷く。
「親分のほうだか、子分だか知らないが……たぶん子分だろうが、風呂のまわりをずっとうろうろしてやがったんだろう。レモン、おまえは、俺たちに投げたのより前にも、風呂桶を投げてるはずだぜ」
「え……? ああ、そういや、あやしい気配があったから、桶を投げたわ。そのあとで、あんたたちが覗いたから、前のもそうだと思ってたんだけど違うの?」
「サルだったんだろう。あの抜け道は、そのときレモンの桶がぶち抜いたんだ。それで……」
「あ!」
一同の視線が、ノーマン少尉に集まった。
「!? ……俺は殴られたんじゃなくて……」
風呂桶がヒットした。
「で、でも、あのとき湯船には少尉がいただけで……その『凶器』はどこへ!?」
スコット上等兵が言った。
「俺に桶があたったときを思い出してくれ。跳ね返って、洗い場の桶の山を崩したよな。もともとあそこには10コの桶があって、それが三角形に積み上がってた。それが、まず、少尉が風呂に入って一番上のひとつを使うだろ」
「あ、その、ひとつがあった場所に、少尉にヒットした桶が……」
「ちょうど乗っかっちまったんだ。そのあと、俺が風呂に入って、俺は山からとらずに、洗い場に置いてあった桶を使った。これはつまり、先に少尉が使ってた桶だ。そのあと、また女湯から桶が飛んできて」
「こんども同じように跳ね返った。でも、落ちた先には、もう10コの桶が積み上がっていたから、今度は山が崩れたんだ!」
意外にも、剛政の説明は誰の推理よりも筋が通って見えた。主人がいたら、彼にしては上出来だ、と面白がりながらも、なにか悪辣なことを考えそうなくらいに。
「じゃあ、事件は解決か?」
と、刀冴が言った。
「いや、ポップコーンがまだだ」
「ポップコーンって?」
リゲイルが首を傾げる。
「だから、この部屋から消えたポップコーン」
「えっ? ノーマンさんを殴った犯人を探してたんじゃないの?」
「それもそうだが、ポップコーンがなくなったのも事件だからな」
「え、でも、あれって」
「あれ?」
「ええと」
リゲイルとノーマンの間に、なにか認識の齟齬があったようだった。
「それよか、宴会の続きしようぜー。剛政も飲むよな! ポップコーンは太助が食っちまったってことでいいじゃん」
「なんだそれ! あれはまいぽっぷこーんだって!」
「でも、それもヘンだよね。一体どこでポップコーンなんか?」
スコット上等兵が訊ねた。
「置いてあったんだぞ」
「もうひとつ――いや、あとふたつ、おかしいことがあるぞ」
今度は、ノーマン少尉が、ぎらりと目を輝かせる番だった。
「オマエだ」
指されたのは、ゆきだ。
「わ、わしか!?」
「ポップコーンがなくなって、タヌキが別のポップコーンを食ってた。あきらかに不自然だろうが。探偵をきどるくせになんでそのことを指摘しない」
「そ、それは」
ゆきは言いよどんだ。
「そうだ。やけに、俺を犯人にしたがってたよな! 実は、おまえが犯人なんじゃないだろうな」
剛政が言った。
「ふっ、言うに事欠いて、このわしが犯人じゃと? 面白い。そういうからには根拠があるのじゃな? 見せてもらおうではないか!」
「い、いや、そう言われればないが……」
「もうひとつ、おかしいことがあると言ったはずだ」
少尉が、すっくと立ち上がり、ゆきのほうへ歩み寄った。
「な、なんじゃ」
「そもそも、なんで、この押入れから出てきたかってことだ!」
「あ!!」
「……」
開け放たれた押入れ。
そこには、鬼の面をつけた人物が、ひとり、膝を抱えて座り込んでいる。
「ゆき」
鬼の面が、彼女の名を呼んだ。
「し、知り合い……?」
リゲイルが問うのへ、ゆきが頷き、がくりとうなだれるのだった。
「こうなってはもう言い逃れは出来んか……。そうじゃ、わしが犯人じゃ」
「!?」
気のせいか、あたりをたそがれた空気感が包んだ。
「こやつは、きらと言って、わしの友達じゃ。わかるものにはわかろうが、わしと同じく、あやかしの類――。もとはといえば、勝手に、ぽっぷこーんを盗ったのはきらじゃった。だが責めんでやってくれ。ほんの出来心だったんじゃ……」
「これ」
きらと呼ばれているらしい鬼面の存在は、手に大事そうに持っていたグラスを差し出す。
「あ、私の! それじゃあ……」
声をあげたのはリゲイルだった。
「え???」
人々は首をひねった。
その後、皆がそれぞれ話した内容をつなぎ合わせてみると。
最初に、ポップコーンに気づいたのは、リゲイルだった。兵士の誰かが、襖を開けたままにしてあったのだろう。置いてあったポップコーンを、リゲイルは『ご自由にお取り下さい』の意味だと思ったらしい。
「なぜ、そう思う!!」
「だ、だって……」
ともあれ、それを手に取ったリゲイルだったが、紙のカップのままだとせっかくの温泉旅館の雰囲気に合わないかな、と思ったそうだ。
「それで、たまたまバカラのクリスタルグラスを持ってたから」
「なんでそんなものをたまたま持っている!!」
「それはそれで日本旅館に合うと思える感性がさすがレッドだわ。でも嫌いじゃないわよ」
いつのまにか泣きやんだレモンが口を挟んできた。
「ところが、そのグラス、目を離した隙になくなっちゃったの、ポップコーンごと!」
「……こいつのしわざか」
「すまない。……うまそうだったから」
「で、ゆきは、そのことを知ったのよね?」
「人のものを盗るのは悪いことじゃ。しかし、きらも、今の子どもが食べておるような美味いものになど恵まれぬ存在であったからのう。中身は頂戴して、せめて、容れ物だけは返そうということになったのじゃ。それで、中身を紙コップに移し替えて……」
「あ、俺が食っちまったの、それか!」
太助が気づいて、声をあげた。
「やっぱりお前かーーー」
「ギャーーー、許してくれーーー」
「で、ゆきたちは、グラスを返すつもりでこの部屋に来て」
「人の気配があったので、とっさに押入れに隠れてしまったのじゃ」
呵々大笑――。
刀冴の笑い声が、一切を帳消しにするように響いた。
「ならこれで一件落着じゃねえか」
確かに、そうだった。
「ってことで、飲み直しだ! 子どもらには、宿に言って、ジュースでも持ってきてもらえ。ポップコーンもまた作りゃいいんじゃないのか? ああ、そうだ、美味いもんが食いたけりゃパンをやろう」
きらにやるつもりなのか、刀冴が言ったが、剛政が、いやそのパンは……ともごもごと口中で唸った。
ゆきは、すまんかったのう、と少尉と兵士たちに頭を下げたが、軍人は、構わん、と短く応えた。
「なんか釈然としないわ。結局、あたしがいちばん損してる気がする! ……うう、むしゃくしゃするから卓球大会続行よ! さあ、やるわよ、レッド!」
「わかったわ!」
そして、再び、はじまる卓球大会。
こうして……
『迷泉楼』の一画では、夜を徹して、明るく笑い騒ぐ声が、響きつづけるのだった。
(ノーマン少尉湯けむり殺人未遂事件――END)
<CAST>
神宮寺 剛政
太助
ゆき
レモン
刀冴
リゲイル・ジブリール
ジェフリー・ノーマン
きら
猩猩とその眷族
スコット上等兵とノーマン小隊
<次回予告>
帰りの列車内で、それは起こった!
レモン「きゃーーーーーーーーー」
太助「今度はなんだ!?」
レモン「あたしの荷物が血まみれに!」
リゲイル「あら? これ、ジャムだわ」
太助「ジャム!?」
刀冴「っておい、なんだこりゃ」
剛政「うお、漢パン! 漢パンの一部がこんなところに!」
リゲイル「網棚の上に置かれてて、ジャムがしたたってきたのね」
剛政「酷ぇ。まるで生首……」
刀冴「誰だ、こんなことしやがったのは。食いもんを粗末にするやつは容赦しねえぞ」
ゆき「またもやわしの出番のようじゃの。姿は子ども、頭脳は大人その名は名探偵ゆき!」
剛政「ちょ、それパク――」
次回『銀幕急行・殺パン事件』に、ご期待下さい。
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クリエイターコメント | たいへんお待たせいたしました。 『ノーマン少尉湯けむり殺人未遂事件』をお届けします。なんとかまとまりました……。というか、当初予定したより、フツーに首尾一貫した話になったような(笑)。
本当に、OPの時点では、一切の展開を考えずに、放り出してありましたので、よく完成したもんです。WRさんはまねしちゃダメですよ。大変だから!(笑)
あらためまして、ご参加ありがとうございました。 すこしでもお楽しみいただけましたらさいわいです。
あ、殺パン事件は冗談ですからね! |
公開日時 | 2007-12-09(日) 00:40 |
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